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夜10時以降に寝る3歳児の割合29%

環境省が行った全国10万人の子どもを対象に行った健康調査で、夜10時以降に主神する子どもの割合が約30%にあがったということで話題になっています。また7%が睡眠不足の状態にあり、2歳から5歳までは早い時間に就寝して、10時間から13時間程度の睡眠が必要ということです。そのため、発育への悪影響などが懸念されるとして、環境省は継続して調査を行っていくということです。

この環境省の発表では、統計データの実態を述べているにすぎず、その背景については書かれていません。そこで、この数字をみて、おそらく多くの人は、単純に30%の3歳児が夜の10時以降に寝ているということで、いい加減な親が益々増加していると考えがちです。しかし、問題はそう単純ではないようです。

夜の10時以降に、小さい子どもを連れてコンビニから出てくることをよく見かけるという人は、親のいい加減さを言うことでしょう。また、一方で、働く母親で子どもを保育園に預けている人は、どうしても子どもを引き取りに行く時間が遅くなり、その後、家に帰ってから食事の支度をして、子どもを寝かしつけると10時を回るということも多いようです。近年、保育園不足の問題が言われていますが、働く女性の社会進出の増加もあり、このような状況になってしまうという、やむに已まれぬ状況があるようです。また、保育園では、お昼寝やバランスの取れた昼食もあり、子どもの健康に配慮しているということもあり、単純に、夜の10時以降に寝るべきというものでもなく、一日をトータルで考えれば、しっかりと睡眠時間が取れているという意見もあるようですね。
いずれにしても、保育園の整備、育休問題、女性の社会での活躍、就業のあり方など、多岐にわたる複合的な問題をはらんでいる問題です。このような事態においても、多くの小さい子を持つ働く女性は、頑張っているということが現実です。

これだけ、科学情報技術が進歩し、人間が行うべき作業が減っているにも関わらず、なぜ、余裕がない状況が生まれてくるのでしょうか。何か歯車がかみ合っていないところがあるのでしょう。今後、10年、20年とたてば、さらに世の中は変化しているはずでしょうが、今と変わらない余裕のない生活が続いてしまうと不幸なことです。しかし、おそらく保育園の整備が進み(法制が改正され現状のような厳しい基準が緩和されることでしょう)、ITのさらなる進化によって会社へ行かずとも仕事ができて育児との両立もできるようになり、副業が可能となる世界が来ると思いますので、そうなると働き方自体が劇的に変わってくることでしょう。そのような世の中になるにはもう少し先であるかもしれませんが、そう遠くない先であると言われています。

次世代を担う子どもにとって、今できる健全的なことは個人的に可能な限り行うとして、世の中の良き方向への変化を期待したいものです。
  1. 2016/10/01(土) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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差別授業

差別授業というものを、ご存じでしょうか。これは、子どもたちの人種差別に対する考え方を変えさせることを目的に、1968年、アメリカ、アイオワ州ライスビルの小学校で「実験授業」として行われたものです。
小学校3年生の担任であった、ジェーン・エリオット先生は、次のような授業を行いました。

クラスを青い目と茶色い目の子どもに分け、「青い目の子はみんな良い子です。だから5分余計に遊んでもよろしい」「茶色い目の子は水飲み場を使わないこと。茶色い目の子はダメな子です」というように、青い目の人は優れ、茶色い目の人は劣っていると決めて1日を過ごすというものです。そして、翌日は茶色い目の人は優れ、青い目の人は劣っているとして生活するという前日とは逆の状況にしました。これによって、差別する側、差別される側を双方体験することができ相手の気持ちになることができたというものです。さらに、この実験では、もう一つ重要なことが判明したようです。実験授業の2週間前と授業をしている2日間、そして授業の2週間後に国語と算数のテストを行ったのですが、子どもたちの点数は「子どもたちが優れているとされているときに最高」で、「子どもたちが劣っているとされている時に最低」を示したのです。そして、授業後はクラス全体の成績がかなり高くなったようなのです。つまり、子どもたちは、自分たちは優れていると思い、自信を持つと、点数が上がり、そうでないと、下がるということが、如実にわかったということなのです。このような実験授業を通して、その大切なことを学んだという意識が生徒たちに自信を与え、優れていると言われた時の高い得点を維持できるようになったということは、非常に大きい成果ですね。

日本では、このような実験授業は非常に難しいことでしょうが、ディベートという手段を使って、立場が変わることによって、どのように考え方に変異があるかということを認識することができるでしょう。
多くの人が、今の自分の立場から、別の人の立場というものを同時に感じることができれば、いじめ問題はじめ、争いや戦争というものはなくなっていくことでしょう。そういう意味でも、子どもの頃に、立場を体験することは非常に大切なことだと思います。
  1. 2016/09/01(木) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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学校でのコンピューター使用は成績向上に影響がない

この衝撃的タイトルは、昨年の9月にOECDが発表した内容です。世界の学校で使用されているテクノロジーと学力の関係を始めて調査した結果のようですが、調査対象国のうち4分の3の生徒にはコンピューターの使用による学力への影響はなかったようです。さらにアジアの優秀な学校では、授業におけるテクノロジーの使用の程度は低かったということですから、一般にイメージする様子と異なっています。つまり、情報通信技術に多大な投資をしても、読解力、数学、科学の成績に目立つ向上はなかったということなのです。
 これは私が解釈するとこうなります。

 「テクノロジーは単なるツールであるため、これを使いこなす教師が授業運営を上手にやらなければ、いくらICTに投資しても結果は変わらないどころか、悪化する」

 現在、日本では大手教育産業や、学校がパットを導入して学習に使用しています。使い方は基本的に、動画で授業を見る、小テストを受けるというように、従来の授業で行っていたことを、テクノロジーを使って代替させているということです。しかし、動画の授業がいつもと変わらず、つまらない授業であったらどうでしょうか。対面という緊張感が無い分、さらに動画の授業を見ません。要するに、つまらない教え方をしていたら、何も変わらないということなのです。小テストに関しては、記述がなくなり、選択肢問題(これによって合理的かつ瞬間的に先生が管理しやすい統計データが得られる)が増えることは必至でしょう。つまり、テクノロジーに合わせた教材、テストが出来上がり、従来よりも効果的であれば問題ありませんが、デジタル都合になってしまうことに大きな問題が潜んでいると私は感じています。
 子どもの読解力や数学・算数、科学それぞれで高い点数をはじき出している場合、その背景には、指導力のある先生が必ずいます。(選抜された生徒や、塾で先取り学習している場合を除く)このような先生は、アナログ仕様の授業であろうが、デジタル仕様の授業であろうが、必ず引き上げます。要するにツールはあまり関係がないということです。私が知る、ある地方の私立学校の化学の高校教師は、自分の授業をiPhoneで撮り、それをアップし(動画や、文書ファイルや生徒の管理システムソフトへアップしている)生徒は自宅でそれを学び、学校では疑問点の解消、問題演習を中心に行っています。(これはアクティブ・ラーニングの一種で、反転学習とも一般に言われている)その先生は普通の授業でも上手なので、動画にしても問題がないのです。この先生の場合は、今まで学校でやっていた授業を自宅で受けてもらうことで、より多くの時間を探究学習に充てることができ、効果を出しているのです。
 やはり、単純にテクノロジーを学校に導入すれば、学習効果が高まるということはないのです。統計はそれを物語っているということでしょう。
  1. 2016/08/01(月) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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子どもは親を尊敬しているか

2015年8月28日に国立青少年教育振興機構がある調査結果を発表しました。それは、それは、日本、アメリカ、中国、韓国の高校生が親をどの程度尊敬しているかというものです。それによると、親を「とても尊敬している」、または「尊敬している」を合わせた数字が、アメリカが70.9%、中国が59.7%、韓国が44.6%、そして日本が37.1%となりました。また、「親の期待にプレッシャーを感じる」という質問では、アメリカと中国が6割、韓国で5割、そして日本が3割となっています。
よく言われる日本の親子像は、縦の関係ではなく、横の関係つまり友達化しているというものです。まさにそれを如実に表した結果となっています。親は尊敬の対象ではなく、友達の一種という感覚。これを皆さんはどのように思われることでしょう。一見微笑ましい、この親子像には、教育的観点は全く入っていません。友達同士で教育し合うということがないように。国家の基本は、家庭にあると言われ、家庭において人が育つものであり、その家庭において教育がなくなれば、もはや国家は存続しえないという理屈になることは明白でしょう。
そもそもなぜ、このようになってしまったのでしょうか。ここからは仮説のお話になります。儒教の国、韓国では縦の関係が非常に重視されます。何度か韓国へ研究で赴いていますが、そこで感じる韓国人の姿は、ITまみれで教育に熱狂しすぎる人という表面的イメージがありますが、食事や家庭に伺うと、年上を敬うという精神が日常生活に自然と存在していることを感じました。中国も何度か訪問していますが、一人っ子政策で随分とわがままな子どもが育ったという噂を感じることを何度かあり、また現地の学校の先生たちからもそのような話を聞きました。しかし、全体としてはまだ、親の権威は高く、(学校でも先生の権威は高い)子どもが親を尊敬するという調査結果には頷けます。アメリカは、ひとくくりにして申し上げることは難しいですが、私の印象では、親子の時間を比較的多くとり、また大学入学以降は子どもが学費を返済するという意味でも、子どもの自立性を育てる風土があり、早くから甘えと愛情を区別し、放任と自立を区別して子育てをしています。
このように考えると、親はあくまでも子どもの手本であり、そして威厳をもって、また甘えではなく愛情を持って、育てる存在であるということがわかります。日本の家庭は、一見、親という役割を担っているようにみえますが、私が接してきた保護者の中には、子どもを犬や猫と同様のペット感覚でいる人を少なからずみかけました。また、親自身が人間的に成熟していないため、子どもの方が、精神年齢が高いというケースもありました。子どもも、親を尊敬の対象ではなく、単に同居している人で、父親と言う名の付いた人、母親という名の付いた人と考えている場合もあります。かつてはこのような国ではなかったと思いますが、いったいどうしてしまったのでしょうか。
この原因は一つ、二つに集約できるものではありませんが、私が問題の一つであると思える点をお話しましょう。それは日本がアニメ、マンガ、ゲーム大国であるということと関係があります。アニメ、マンガ隆盛期おそらく1970年代から80年代でしょうが、この頃から、かなり多くの種類のアニメ、マンガが普及し、また1980年代以降はゲームがブームとなりました。その延長線上にある現在、さらに進化と遂げ、今や日本の文化は「アニメ・漫画だ!」と言う人すらいます。決してそれらが悪いものではありませんが、アニメや漫画は子どもたち(今は大人も)を惹きつけ、子どもたちのヒーローとなります。そうするとどうなるかといえば、無意識に真似をしていくようになります。おそらく日本の子どもたちに、尊敬する人は誰でしょうかといえば、アイドル歌手や、アニメ・漫画の登場人物が出てくるのではないでしょうか。また、子どもたちのコスチュームやしゃべり方がアニメっぽいという印象を持つのは私だけでしょうか。私が塾を開設した1989年以降、子どもたちの推移を約30年見ていますが、1995年あたりから、このアニメ子どもが出てきたように記憶しています。
「親の役割を自覚していきましょう!」という綺麗ごとをいっても仕方ないことでしょう。これだけメディアの渦に巻き込まれた世界に生きる子どもたちにできることは、やはり学校教育というある意味、強制的に集められた場所において、世の中の多くの社会人(苦労して立派になった人や有名ではないが生き方が素晴らしい人)に登場していただき、多くの感化を与えていくことが、今のところ最善ではないかと思っています。皆さんはいかがお考えでしょうか。
  1. 2016/07/01(金) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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恐るべきデータ マクガバンレポート

1977年、だいぶ前ですが、アメリカの民主党上院議員の「ジョージ・マクガバン」氏がまとめた「マクガバン・レポート」というものがあります。このレポートに従い食生活を変えたことで、がんやその他の疾病にかかるアメリカ人が急速に減ったということで有名なレポートです。そのレポートが発表された2年後の1979年にニューヨーク市の子どもたち100万人を対象に食事に関する調査が行われ、学力にどのような影響を与えるかということを4年間にわたって調査をしました。
その結果驚くべきことがわかりました。調査は、学校内のカフェテリアの内容を変えていくというものです。それまでは、ハンバーガー、フレンチフライ、ホットドックやコーラ、チョコレートミルクといったメニューでした。それを次のように変えていきます。
はじめに、飽和脂肪酸と砂糖を減らし、パンは食物繊維が多いパンに切り替えました。
その結果1年後、標準学力テストの平均点が39点から47点へアップしました。
2年目は、さらに「合成着色料」「合成甘味料」を使った加工食品をなくしました。その結果、さらに平均点は51点へ上がりました。
3年目は、2年目までの結果が偶然性または他の要因にあるかどうかを検証するために、2年目と同様の条件をさらにもう1年続けた結果、平均点は51点で2年目と全く同点数がでました。
4年目は「合成保存料」を添加した加工食品を一掃した結果、平均点はさらにあがり、55点まで上昇したということです。
はじめの年からの推移で見ると、39→47→51→55と140%以上になっていることがわかります。この調査では、この4年間教師の給与を上げることもなく、クラスの児童数も変わらず、カリキュラムの内容も変えておらず、変えたのはカフェテリアのメニューだけであると、この調査にあたったアレキサンダー・シェラス氏は語っています。なお、同様の実験調査は、バージニア州のある少年院でも行われ、短期間で凶暴性が少なったという報告もされています。
糖質、脂質の取りすぎが体に悪いことは、誰でも知っています。また添加物については悪いかもしれない程度の認識があることでしょう。今、子どもたちを取り巻く食は日本食から欧米食へと変貌し、スナックや飲料も大変多くの糖質や添加物でまみれています。砂糖や添加物はいい商売になり、しかもそれを使う側は安く作れるため大量に使用します。かつてはこのような裏情報はあまり表に出ませんでしたが、最近はかなりでてきています。添加物に関しては、欧米と比べ大量の複合添加物が使われ、農薬は全世界の農薬生産量の70~80%を日本が消費しています。また最近は、このような情報が巷に流通してしまったため、逆に、無添加と表示すれば高い値段で売れるということもあり、コンビニでも「合成保存料、合成着色料不使用」というおにぎりが売っています。本当にそうであればすぐに腐ります。これは、厚生労働省が表示しなくていい添加物を定めており、それを使っていても、表示しなくてはいけない添加物を使っていなければ「合成保存料、合成着色料不使用」と書けるという背景があります。
“商品”ではなく“食物”を取ることは、教育的観点からも非常に重要なことでしょう。しっかりとした知見に基づき、判断したいものです。
  1. 2016/06/01(水) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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