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ゆとり教育について

昨今、ゆとり教育が見直され、教科書も分厚くなり、従前の教育課程が復活する様相です。マスコミもこぞって、ゆとり教育を批判し、ゆとり教育世代の問題点をあげつらいます。そこで、96年の「中央教育審議会」は第一次答申『21世紀を展望したわが国の教育の在り方についてー子供に〔生きる力〕と〔ゆとり〕を』を見てみましょう。そこでは生きる力を次のように説明しています。
「いかに社会が変化しようとも、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資源や能力であり、また、自らを律しつつ、他人と共に協調し、他人を思いやる心や感動することなど、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることはいうまでもない」このような考え方が円周率3.14が3になり、発展学習を削除して教科書を薄くしたと断じられています。しかし、よくよく読んでみると、この生きる力の定義は大変立派です。だれもこれを否定することはできないでしょう。また、OECDのPISA試験で測定しようとしているコンピテンシーは「省察(reflectiveness;reflection)」→1)自己の思考や行動を吟味する=メタ認知能力→創造能力は批判的姿勢をとること2)違いや対立を扱う能力→対立と見えるものや矛盾する目標を一つの現実の諸側面ととらえて統合すること、例えば自律と団結、多様性と普遍性、革新と継続性との間の緊張を扱うこととされており、生きる力としての側面も感じます。
 このように、本当に「ゆとり教育」は間違っていたのだろうかという疑問が出てきます。確かに、難しいことは教えず、勉強はあまりやらなくていいという発想は間違っています。しかし、それが短絡的に「ゆとり教育」=悪しき政策と言えるのでしょうか。
 私は、教育政策について少々かじって調べてみた結果わかったことは、政策を作っても、実行するための指針が不十分であったり、そのための人材育成が全くなされていないということが散見されたことです。簡単に言えば、「作っておしまい」ということです。ボリュームを増やして、知識増長型指導は、元来日本が行ってきた指導スタイルであり、そのための研修は必要ありません。(厳密に言えば必要ですが)ですから、「作っておしまい」型の政策をされるぐらいならば、従来のやり方(研修が必要ないやり方)に戻せば、大きな問題は起こりにくいということになります。例えば小学校における英語教育では、今まで行われていなかったため、比較すべき対象がないということで、問題が表面化しにくいのですが、実態としては、人材研修はせず、しっかりとした体系化も組まれることなく、ただ機械的に始まりました。問題が表面化しないまでも、内実はかなり困った状態なのです。「ゆとり教育」もしっかりと、そのための指導者育成を行い、小中高までの教育体系の構築(実際、作ってあるのですが、私から見ればできていないも同然です)を行い、一定期間ごとに定点観測をして評価するという仕組みを入れることが大切だったでしょう。PISAで順位が下がったから、学力低下が世間を賑わし、その結果、圧力がかかって教育政策を元に戻すという構図しか見えないため、色々疑問がわき出てきます。私は「ゆとり教育」が正しいとは言いません。しかし間違っていたとも思えません。プロセスに問題があったのではないかという印象を持っているのです。PISAは結果の一つですが、それはゆとり教育に問題があったという検証はされていないでしょう。ですから今後、政策を実行する際は科学的見地に則り、検証プロセスを明確にして評価をすることが望まれます。
  1. 2012/11/01(木) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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