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国語力と読解力の違い

 以前、近頃の中高生の国語力が低下しているということが話題になったことがありました。確かに中学3年生の模試や過去問を実施していて「(生徒の)語彙が少ない」だとか「(生徒が本文について)説明できない」とかいうことを感じることはあります。しかしそれらは本当に、世間が求めるような国語力と呼べるものなのでしょうか。
 私は、塾で養えることは読解力やそれに付随する知識だと考えています。これは提示された問題の本文を適切に読み、解き方や読み方を用いて正解を導き出していくためのものです。一方、世間で養うことが求められている国語力というものは読む・書く・話す力を総合したものだと考えられます。これは文章を適切に読み、文章を適切に書き、適切な内容を話すといったもので、一見しただけでは漠然としていて目指すべきものが何であるのかがはっきりしません。ここに国語力と読解力の違いがあると思われます。
 読解力はいわば国語の公式のようなものです。もちろん問題となる文章は変わるので一概には言えませんが、「指示語が出てきたら前を見る」「初めて出てきた言葉は後ろに説明が書かれている」といったことは問題をスムーズに解くために必要なことでしょう。これらを意識できていない生徒は、やはり点数が低いです。また、豊富な語彙は文章を読みやすくしてくれますし、本文を簡潔に説明できれば要約や本文全体の内容一致に役立つでしょう。これらもやはり、問題をスムーズに解くための方法と言えます。
 私が生徒に求めているのは、主に「本文全体の大まかな内容」「難しそうな言葉の意味」「選択肢の内容がそれぞれなぜ違っているのか」の3点と上述した「指示語が出てきたら前を見る」「初めて出てきた言葉は後ろに説明が書かれている」の2点です。これまで述べてきたように、読解力を身につけておくと回答がスムーズになり、精神的にも余裕が生まれます。したがってこれを読んでいる中学3年生の皆さんは、上の5点に注意して模試や過去問の復習をしてください。
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  1. 2012/12/01(土) 00:00:00|
  2. 講師たちから
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上大岡エピソード ~学校1のワル~

私が上大岡の生徒を受け持つようになってから10年以上になります。それ以前は本牧の生徒を受け持っていましたが、当時、上大岡を担当していた女性講師が、中2の男子に殴られたため、夏期講習明けから上大岡の生徒を担当してくれとのことでした。
講師を殴るような生徒なんて…と思いながらも上大岡へと向かったことを覚えています。生徒数は6名。女子2名は成績35、29、男子は15~26と当時は現行制度よりは3近く低くつく相対評価とはいえひどいものです。1が並ぶ成績表をはじめてみました。
ある日、「先生、こいつ学校の面談で『あなたはこの学校1のワルです。高校はあきらめてください。』と言われたんだぜ、俺は3番目のワルだから俺のほうがマシ」というので、「お前らは?」と残る2名にも聞いてみたところ、「俺は4番目のワル」「俺、5番目」というので、「2番目のワルは塾に来ないの?」と尋ねると、「あいつは勉強が嫌いだから、塾なんて来ない。」というのです。「え?お前らは勉強が好きなの?」「嫌いだけど、塾はいかないとマズイ。」「なんで?」「高校に行けなくなる。」「いや、別に塾に通ったからといって高校には行けるわけじゃないし、今のままでは高校には行けないけど?」「マジで?」という話から、スクールウォーズの山下真司よろしく、彼らに高校受験のシステム、成績などについて話をし、やるかやらないかの選択を迫りました。
そして私と彼らの戦いが始まります。合宿で他スクールの担当から上大岡の生徒は連れてくるなと言われたり、その他イベントでも上大岡だけは別にしろ言われたりしながらも、彼らは休むこともなく、ほぼ毎日、授業開始よりもだいぶ前に塾にきては、プラモデルを作ったり、アホな話をしたり、もちろん勉強もしたりと、とにかく楽しそうに通ってくれました。
成績はだいぶあがり、上は32、下は25まであがりました。そうはいっても2年末が低すぎるため、男子全員が内申不足。そのような状態で、翌年新規開校のため競争率2倍を超える横浜南陵をどうしても受けたいという生徒もいました。彼は残念ながら後1点に泣きましたが、その他の生徒はみな、第1志望の高校へと進学しました。
彼らが中2の頃の「通っていれば高校に行ける。だから授業は嫌だが我慢しよう。我慢できないから殴ってしまえ」で居続けたら、全員が高校生になっていなかったと思います。
自らの意思で塾に通うことを選び、通うことを楽しみ、そして勉強、受験を楽しめたことが彼らの勝因です。もう一つ、彼らの良かったところは、「俺は成績10上がったぜ」「うっせー、模試は俺のほうが上なんだよ!」「まぁ、上がっても俺のほうが成績も模試も上だけどね」と互いに競い合っていたことでしょうか。やればできるということを証明してくれたワルたちでした。
  1. 2012/12/01(土) 00:00:00|
  2. 講師たちから
  3. | トラックバック:0

学制

 「学制」という言葉を聞いたことがありますでしょうか。中学、高校で日本史の授業を受講した方であれば頭の片隅での残っている言葉ではないでしょうか。「学制」は1872年に導入された学校制度のことであり、教育の機会均等と全民就学を提唱して作られました。日本で初めて近代教育がここに誕生することになります。それまでは寺子屋などで独自の教育が日本中で行われていました。それが学制によって日本中にある種の秩序が確立しました。(それは同時に一斉教育により全体主義へと進んでいく教育体制の布陣が敷かれたとも言えますが)
学制では個人主義的な立場に立つ教育目的を持ち、知識の開発を通して近代市民の資質形成を目指す、近代的な公教育思想を背景としていたと言われています。これらの思想はフルベッキやマーレー、福沢諭吉による影響であると伝えられています。
学制はその後、理念の部分の改正問題が起こります。明治天皇の侍講を務めた元田は1879年に「教学聖旨」を著わし「学制」の知育中心の教育理念を儒教中心の立場から改正しようとします。それに対して伊藤博文と井上毅は「教育議」を出して反論しますが1880年に「改正教育令」が出て元田の主張が取り入れられました。その結果「修身」が全教科の最上位に位置するようになります。1881年には「小学校教則綱領」で道徳の徹底がなされ、1886年森有礼文部大臣による「諸学校令」が発令されることで儒教主義を排除することになります。当時のヨーロッパは強力な中央集権国家が成立しつつあり、国家主義、帝国主義が強まり、その認識をもっていた彼は、富国強兵、殖産興業という国是に従って近代国民をつくろうとしたようです。もちろんこのときにできた学制は今でいう旧学制であり、複線型教育(初等科、尋常科、大学予科、師範科など様々ありました)でした。第二次大戦後に現在の単線型学制(小、中、高、大)が作られるのですが、旧学制は当時に弊害として指摘された社会階層別の構造であるということから、封建制の残滓とみなされており、教育の機会均等という理念に則り、現在の学制となっています。
 学制発布からの一連の理念、道徳、修身という流れを見ると、当時の世界的背景による影響を感じずにはいられません。現在も道徳の正教科化に関して論争があったり、教育基本法を改正するときにその理念、目的の部分での論争がありました。しかし明治の当時の頃と比べると何か現代では表層的に感じるには気のせいでしょうか。
何も「昔はよかった」というつもりはありませんが、元を見据え、ぶれない軸を持ちながら表層的議論を行う点では、昔の方があったのかもしれません。それだけ現代社会は細分化、多様化が進行し、元が見えなくなっているのでしょう。歴史を識ることはとても大切なことであることは、このような視点からも明らかであろうと思います。
  1. 2012/12/01(土) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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