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タウンゼント・ハリス

タウンゼント・ハリスをご存知ですか。学校の教育では、日米和親条約後の初の日本総領事として、通商条約に奔走したアメリカ人であり、1858年にアメリカと結ばれた通商条約は関税自主権がないこと、アメリカ側に領事裁判を認めた治外法権であることから不平等条約として教えられます。また、俗説として唐人お吉の話があり、ハリスの妾としてお吉を江戸幕府が差し出し、その後それがきっかけでお吉は不幸な人生を歩んで最後は投身自殺するという悲話もあります。これらの話を聞くと、ハリスと言う人間は極悪非道という印象を受けます。
しかし、これらは真実を反映していないようです。では真実とは何でしょうか。まず、ハリスの生い立ちです。彼は「家が貧しかったので小学校、中学校を卒業後、すぐ父や兄の陶磁器輸入業を助け、図書館などを利用して独学で仏語、伊語、西語を習得し、文学を学ぶ。その苦学時代の体験が、長じて教育活動に目を向けることとなり1846年にはニューヨーク市の教育局長となり、1847年に高等教育機関「フリーアカデミー」を創設。みずから仏語、伊語、西語を教えるなど、貧困家庭の子女の教育向上に尽くした。そのほか、医療や消防などの公共事業に携わる。1848年に辞職。」(以上、ウィキペディアより) 現在のニューヨーク市立大学はハリスが創設したものです。タウンゼント・ハリス高校もあります。彼らは敬虔なクリスチャンであり、一生涯を独身で通しております。不平等条約という点についてお話すると、2つの条件はいずれもハリスが提示したものですが、領事裁判権については、当時の江戸での裁判権を外国人に適用すると大変なことになるため、領事裁判権として幕府も認めたものです。つまり、大名行列の前を横切ると切り捨てが行なわれるなど、現在の法治国家日本の常識からは到底推察できない異常な世界ですから、近代化したアメリカの当時の常識では、江戸の常識と大きく異なるという事実があったのです。また関税自主権がないということに関しては、当時従価税と言われ、価格に応じて5%の輸出関税がかかっていたものが、従量税となり、事実上の関税がないということになったことが発端ですが、当時の日本はオランダとの貿易のみであり、また輸入関税に関してもハリスから好意的進言を受けていながら、それを拒否しております。ハリスはアメリカ通商の代表として来日しているので、当然のことながらアメリカに有利に働くように事を進めますが、日本に対して好意的に行動していることが多くの文献から明らかになっています。もしこの修好通商条約がなければどのようなことになっていたか。当時イギリスがアヘン戦争を清にけしかけているころで、イギリスが清を平定し終わり、次のターゲットである日本へ進路を変えた時期です。またロシアが南下してきておりました。ハリスはこの情報をいち早くキャッチし、日米の修好通商条約を結ぶことで、イギリスやロシアに対して日本への侵略を食い止めたという見方と文献があります。唐人お吉に関しては、全くのデマで塗り固められているようです。ハリスは持病があり、看護婦と幕府に要請したが、当時の日本には看護婦という概念がなく、幕府がそれを妾野要請であると勘違いしたといいます。実際は3日で解雇されているようです。ウィキペディアには、「駐日領事時代に、幕府はハリスの江戸出府を引き止めさせるため、ハリスとヒュースケンに対して侍女の手配を行う。役人はハリスを篭絡しようと芸者のお吉という名の女性を派遣した。役人の意図を見抜いたハリスは大変怒り、お吉をすぐに解雇している。ハリスが生涯独身であったことなどから後世に誤った風説が加わり、昭和初期には「唐人お吉」としての伝説が流布し、小説や映画の題材にもなった。」と書かれています。風評とは恐ろしいものです。このように歴史はそのような“事実”があったかもしれないが、“解釈”がいつしか風評や歴史の勝者によって曲解されていることが非常に多いと言えます。
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  1. 2012/06/01(金) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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