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早期教育は正しいか

今回は「早期教育」について述べていきます。学問的には、早期教育は実際良いことなのか、それとも悪いことなのか、是非の決着はいまだついておりません。学者も自分にとって有利な論文を引用し、自らの主張が正しいことを補強するため、このテーマは是非が真っ二つにわかれています。
そこでまずは早期教育についての定義から行っていきましょう。早期教育は何歳からを指すのでしょうか。これも正しい水準は明示されていません。大方、小学生からと考えいいと思います。幼稚園または0歳児からというもの早期教育として語っているものもありますが、もう少し一般的な話として進めるために、小学生からの教育と考えましょう。そこで私の23年の経験から早期教育についての考えをここで述べていこうと思います。(また、ここでいう早期教育とは国語算数英語といった教科学習以外に音楽、スポーツのような分野も含めております。)
 
私は早期教育については基本的に肯定派です。しかし「度を過ぎないこと」が前提にあります。私が早期教育について肯定的である理由は次によります。
1)子どもは大人が考えている以上に能力が高い。
2)子どもは何でも遊びに変えてしまう天才である。
3)子どもはチャレンジ精神が旺盛である。

このような子どもの特性を生かしていけば、自分の才能を開花させるチャンスが早期教育によって生まれる可能性が高まります。もちろん早期教育否定派のいうように、「イチロウのように早期教育を施した親は何万といるがイチロウのように素質がなければ早期教育も意味がないだけでなく弊害がある」ということもできます。しかし、何万というその他の親によって教育を受けた子どもたちは果たしてイチロウのようになれなければ、落伍者なのでしょうか。私はそうは思いません。その過程で自分の違った能力に気づいて転向したかもしれません。プロ野球選手になるという“結果”ではなく、その“過程”に着目すれば、多くの気づきのチャンスを親は与えたことになります。また否定派の方はいつも極端な例(習い事だらけで精神的病に陥った子どもの例など)を挙げて否定します。何でも度が過ぎると弊害が生まれるのは当たり前の論理です。ですから極端な事例を挙げて否定的見解を示すことが、早期教育否定にはつながらないと私は考えています。
 それよりも早期教育の問題は、早期教育を受けた子どもの受け皿が子どもの能力伸長に追いついていないという実態です。子どもの能力や才能(場合によっては精神年齢)が親を超え、先生を超えると彼らには手に負えなくなり、彼らの能力を抑えてしまうことすらあります。ですから今後、子どもたちの能力を天井をつくらずに、最大限発揮させるためには、大人が精神的成長をしなければならないと思っております。少なくとも先生といわれる立場の人は、自分の能力を超えていく子どもたちを見て、微笑んでいく余裕が必要でしょう。
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  1. 2011/11/01(火) 00:00:00|
  2. 講師たちから
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