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「間違い」

「間違い」って何だろう。
年末年始のカレンダーは大人にとってあまり良い年ではありませんでした。それでもお土産を持ってきてくれる生徒が多く大変感謝しております。本来であればそれぞれご挨拶するべきですがこの場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございます。
さて、今日は問題を間違えたときの子どもたちの対応について書こうと思います。
問題を間違えた場合に、その理由が自分の理解できていない部分の分析に向かっていれば前向きで良いのですが、たとえば、問題が悪いとかあるいは先生の説明が悪いなどという方向に向かうとよくありません。しかしこういった声はよく聞かれるものです。
大人の世界でも全く同じだと思います。自分にできないことがある場合に、環境のせいにしては何のプラスにもなりません。どうやったらできるのかということを常に意識して生活を送ることができれば、仮にできなかったとしても充実した日々を過ごすことができるでしょう。
 「過ちて改めざる、之を過ちと謂う」現代語に訳すとい「間違った時に改めないこと。これを間違いと言う。」有名な論語の言葉です。間違いそのものは間違いではない。間違った時に素直に改める気持ちが大切だと説いています。できない時にできない理由を見つけるのは簡単です。何かしら理由があるものです。こういったことを理由にせず、素直に間違いを認め学習を進めることができれば素晴らしい成長が待っているものと思います。

講師一同も、過ちがあれば素直に認め生徒の範になるべく一層の努力をしてまいります。

新本牧スクール講師一同
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  1. 2010/02/01(月) 19:09:04|
  2. 講師たちから
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ボーディング・スクール

今回は教育の最終形態についてお話したいと思います。今から10年近く前、私は大学院で本質的人間を養成するために最も望ましい教育形態について研究をしていたときがありました。そのとき、わかったことはアメリカのボーディング・スクールだったのです。ボーディング・スクールとは寄宿制学校のことです。全寮制のことです。もともとはジェントルマンの子弟の養成学校であるイギリスのパブリック・スクールが原点であり、イートン校やラグビー校は有名です。アメリカにも10スクールと呼ばれる非常に優秀なボーディング・スクールがあります。ここからハーバード大学やイエール大学などのアイビーリーグと呼ばれるアメリカ東海岸のトップ大学へ進学する生徒が多く進学します。このような話を聞くと、偏差値の高い人間養成かと思われるかもしれませんが、そうではないのです。心豊かな人間性と品格を身につけ、当然思考能力も磨き上げます。日本ではレベルの高い学校=偏差値の高い学校=知識がたくさんある人、記憶力の良い人と早合点しがちですが、欧米などではそのような基準ではありません。私は過去、イギリス(イートン校も含め)とアメリカの学校を訪問したことがあるのですが、優秀な子は友達がたくさんおり、運動やボランティアも積極的に行い、家族を大切にする子が優秀な子として評価されるのです。もちろん勉強もできます。
 ではなぜ、このボーディング・スクールがここまですばらしいのでしょうか。私が感じたのは、ただ集団でクラスというのではなく、そこの教師も一緒に(家族で)住んでおり、週末は教師の家でパーティを催したり、勉強を教えてもらったりしているのです。本当の意味で家族的付き合いをしております。また、欧米では、人種や宗教を超えた子達が同じ空間で過ごしており、様々な価値観を学ぶと同時に、自らのアイデンティティも確立していくようになるのです。私は教育で一番大切な要素として、協調性と多様性をいつも掲げていますが、その2つが学べるのがこれらのスクールなのです。また、皆さんはハーバード大学の名を聞いたことがあるでしょうか。世界で名だたる超一流大学です。ここの成功要因の一つに次のようなことが言われています。①リベラルアーツ(教養学部)であること。→つまり人文科学、自然科学、社会科学を包括した学部であり、一つの決まった分野だけの研究する研究者養成とはなっていない。②「ハウス」というシステムがある→専攻、人種、学年を超えた学生たちが寮生活を送っている。そこには専任の教員がいて指導している③給付型の奨学金制度が発達している→これによって高額な学費をカバーすることができる。
 紙面の関係上、ボーディング・スクールについて十分記載できませんが、人を教育する上で何が大切で、そのためにはどのような形態が望ましいかはおわかりだろうと思われます。では日本ではどうでしょうか。いくつかの学校が寮をもっていますが、成功しているところはほとんどないと言われています。それは歴史的に伝統がないことや、ハウスマスターと言われる人に相当の指導能力が問われるのですが、それができる人が日本にはいないと言われています。しかし、日本も昔は志の高い人は有名な先生のところにおもむき下宿したりしています。また、村社会の中で村全体が一つの家族的共同生活であり、そこで協調性と多様性(欧米までの多様性とはいかなくとも、色々な人がいることで多くの価値観が学べる)を学んでいたともいえます。しかし今ではこのようなことはありません。家庭において指導すればいいという議論もありますが、それは暴論というものです。本来の協調性や多様性は他人との中で形成されていくものであり、そのためには積極的に集団生活という世界に飛び込んでいく必要があるでしょう。
  1. 2010/02/01(月) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
  3. | トラックバック:0

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