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ゆとり教育

今月号では、「ゆとり教育」についてお話をします。広い意味においては「ゆとり教育」は30年以上前から段階的に行われていますが、現在世間で言われている「ゆとり教育」は2002年(平成14年)のことを指しています。このときから完全週休2日になっています。今、ゆとり教育が見直されて、学習内容量も増やしています。巷では、ゆとり教育により学習内容が大幅に削減され、さらに土曜日が休みになったことから、絶対的な学習時間が減り学力が低下したといわれています。学力低下を如実に示した事実は、国際数学・理科教育動向調査での中学2年生の数学が前回の1999年よりも9点、前々回のTIMSS1995よりも11点低くなっていることによります(順位は5位のまま)。最近ではOECDによる生徒の学習到達度調査では日本の順位が年々減少していることも根拠を強めています。
 最近ある雑誌で、ゆとり教育によって、子どもは学力が低下し、ゆとり教育を経験して社会に出た若者は忍耐力がないと書かれていました。しかし単純に日本はゆとり教育にしたから学力が低下したのかと考えるのはおかしいと私は思っております。実際、OECDのPISAにおいてトップの成績をあげて、全ての項目で日本を上まわったはフィンランド週休二日制をとっており、授業時間も日本より相当少ない状態です。つまり日本以上にゆとり教育を実践しているのです。
私は教育業界に20年携わっていますが、ゆとり教育によって子どもが変わったのではなく、大人が変わってしまったため子どもが変わったと考えています。現代は物が豊かになり何でも手に入り、生活時間にもゆとりができました。一方でバブル崩壊後、リストラや経済不況、デフレ、低金利など世相はネガティブな言葉で溢れ、いつしか心が貧しくなりました。このように物は豊かになったが心は貧しくなったという世相事態が大人を変化させ、その結果子どもに変化が行き渡ったと私は考えています。さらにこの20年の子どもに与えた変化を見ると、携帯電話が中学生まで普及していることやゲームが進化し子どもの心を捉えて離さないようになっています。インターネットが広がり、良い情報も悪い情報も即時に手に入るようになっています。このようにマクロ的な視点にたって学力低下を議論しなければなりません。私はゆとり教育擁護派ではありませんが、近視眼的にゆとり教育→学力低下でないことは確かです。(もちろん一因はあります)
 ゆとり教育という言葉が適切であるかわかりませんが、欧米の教育はゆとり教育です。私は実際自分の目で世界最高峰の教育プログラムをいくつも見ています。そこではいわゆる「ゆとり教育」が行われています。ゆとり教育において彼らは考える力を持ち、勉強に対しての抵抗感がない子が生み出されています。しかし日本では歴史的に見て、文化伝統的にゆとり教育になじむ土壌が醸成されてこなかったことと指導する側にゆとり教育の意義を明確に伝え、研修を行わなかったことが今回致命的だったと考えています。
 間違いなく言えることは、勉強とは無理やり知識を詰め込んで受験が終わったらおしまいというものではないということです。知識など一部を除いては社会で必要とされません。しかし、考えるプロセスや、体験を伴った勉強は一生、血肉として見についていきます。これこそが本物の教育であります。もちろん前提としては詰め込み派以上に学力が向上することです。この前提を置きつつ本物教育を実践することが重要であると考えています。
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  1. 2009/05/01(金) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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