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点数の取り方

みなさん、こんにちは。暑い日が増えてきましたね。エアコンを使用する機会が多くなり、体調を崩しやすくなる時期でもあります。風邪などをひかぬよう、気をつけてくださいね。

緑進では数多くのテストを実施していますが、その中でも一番点数が上がりやすいのは漢字テストです。他の科目は苦手でも「漢字テストだけは得意」というお子さんもいらっしゃいます。これは「一日三回、五日分をノートに書く」という勉強方法が確立されていて、それを「作業」としてこなせているため、良い結果が出ているのでしょう。
最初は苦に感じてしまう子も多いのですが、慣れてくるうちに練習のスピードが上がり、点数も上がってくるので、やる気もだんだんと出て、良い表情になっていきます。

中学校の定期テストも同じで、点数が上がる秘訣は勉強方法の「作業化」です。
例えば英語であれば
・塾のテキストを一度解く→間違えた問題に印をつける→印のついた問題を解く
・教科書を暗誦できるまで繰り返し読む
・単語テストをする→間違えて単語を15回書く→再テストをする→満点になるまで繰り返す

数学であれば
・授業で扱った文章問題をやり直す→言葉や数字のみが変わっている問題を繰り返し解く
・計算問題を解く→間違えた問題と同じパターンの問題を50題解く
・過去問を解いて出題パターンを知る

点数の良い生徒は以上のように自分が何をすべきか知っており、それを黙々とこなしています。逆に、思うように成績が伸びない生徒は何をどのように勉強して良いのか分かっていません。そのような子に「もっと勉強しろ」と言っても、何も見えていない暗闇の中を「もっと歩け」と言っているようなものです。

もし思うような点数が取れていないようであれば、今回のテストでは何をどのように勉強したのかを具体的に振り返ってみてください。そこに、点数アップの鍵があります。
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  1. 2008/07/01(火) 19:51:07|
  2. 講師たちから
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大善、小善

皆様お元気ですか。7月は夏へと変わる季節の大きな変わり目です。このような時期、体調変化を招きます。今年の夏は非常に暑いという予想がされているようです。どうぞご自愛ください。

今月は「大善、小善」についてお話します。私の好きな言葉に次のようなものがあります。
「小善とは大悪に似て、大善とは非情に似たり。目前の気受けなど気にせず、大善実現のために非情に徹せよ」
小善とは、一見良いと思えるが実は最悪なことです。例えば何でも子どもの言う事を聞いてあげたりすることがこれにあたります。一見、子どもの要求を呑むことは、子どもにとって喜ばしいことをしていると思われがちです。しかし、そのようにして甘えて育てられた子の将来はどのようになるでしょうか。つまり一見良いと思われることは実は大悪であるということです。このケースにおいて、本当の善(つまり大善)とは子どもを厳しく躾けて、何でも自律して行えるように育てていくことです。これは一見、非情に似ています。ですから小善とは大悪に似て、大善とは非情に似ているのです。今、このようなお話を読まれて、10人中10人の方がその通りであるとお考えになると思います。しかし、日常において、人は小善ばかりやっているのが実情です。この点について今月号では詳しくお話をしていきます。
なぜ人は小善ばかり行ってしまうのでしょうか。理由は2つあります。一つは、目先の“利益”ばかりが気になってしまうためです。言い換えますと本質というものが分からないということです。例えば、儲け話があるとつい飛びついてしまいます。塾の勧誘でも、いわゆる“おいしいこと”を言われると入ってしまいます。世の中にそう簡単なお話はありません。小善とは表面的なものでもあります。表面的なものは偽者が多いものです。欲得に目が奪われると人は正しい判断能力を失います。小善を行うもう一の理由は、楽であるためです。大善をやるには非常に大きな労力が必要です。さらに本質を見る眼力が必要です。そのようなことよりも目先の簡単なことで済ませる方が楽です。人間はこのように、表面的で簡単なこと楽なことを求めます。ここに大きな落とし穴があるのです。
教育とは大善を行う所業です。特に指導者は大善と小善との違いがわかるだけでなく、非情に似ている大善を毅然とした態度で行える者であるべきです。非情に徹することができない指導者は、授業中生徒を注意することや叱ることができません。仮に注意ができたとしても、毎週毎週同じ注意ばかりして、いつまでも改善されない状態を招きます。大善を実行できる指導者は、1回で生徒を改善させます。
これは塾や学校だけの話ではありません。家庭においても同じことがいえます。本当に非情に似た大善を行っているでしょうか。また、非情の裏には愛情があることも忘れてはいけません。本当の愛情とは時には非情であります。それが子どもの本当の幸せにつながっているとしたら命がけで非情に徹することができます。教育とは息の長い所業です。しかし、これほど大きな“投資”はないでしょう。より大きな果実を結び、子どもにとってだけでなく、世の中のためになっていく存在になります。
私は常に今自分が行っていることは大善であるか、それとも小善であるかということを意識しています。そして時には愛情の裏返しである非情に徹することも必要であると常々意識しています。一人でも多くの立派な人間を作っていくためには非常に大切なことであると考えています。
  1. 2008/07/01(火) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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