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失敗を恐れるうちは成長しない

子どもたちを指導していると、失敗に対する恐れを感じて勉強しているということがいつも感じられます。これは大人もそうかもしれません。もちろん、失敗することを目的として行うということはなく、成功する、正しい答えを出すために、活動をすることは言うまでもありません。

しかし、子どもたちの指導では、次のようなことは頻繁にあります。

例えば、「君はどう思う?」と聞いて、「ん~」「わかりません」など、さらに、「分かる人は他にいる?」と聞いても、小学生以外は、手はあがりません。私は、そのような状況に対して、間違いや失敗を奨励し、彼らの気持ちを変えていくことをしますが、一般的にはこのような状況が現実的です。

 では、このような失敗や過ちに対しての恐怖感はどこからくるものなのでしょうか?

これに対する、興味深い意見があります。それは、「選択肢問題による弊害」ということです。選択肢問題は一般的に4択、多くて5択です。4択の場合、間違える確率は75%、5択の場合で80%になります。つまり、間違える可能性の方が圧倒的に高いのですね。このような選択肢問題をいつもやらされていると、いつしか間違いを恐れ、答えないか、人と同じと答えておいた方が無難ということになります。何しろ、小学校の低学年あたりから選択肢問題がはじまり、大学入試まで続くのですから、かなりの年数です。記述問題があるとはいえ、多くの生徒は記述問題を敬遠する傾向にあり、実質的に選択肢問題に支配されている毎日です。
正解のない問いに対するディスカッションであれば、自由に発言ができるのですが、日頃から正解を選ぶトレーニングを積み重ねている生徒は、いきなり答えのない問いを与えられても、どうしても、「正解は何か?」「他の人はどういうのか?」が気になり、なかなか自分の意見がいえるようにはなりませんね。
 このようにして、失敗に対する恐怖心が“養成”されたあと、社会に出ていくのです。(ちなみに社会人になるにもSPIという一般常識問題があり、それも選択肢問題です)

 今後、アクティブ・ラーニング形式の授業形態が入るとはいえ、正解を選ぶ訓練から、学ぶ訓練へ変容させないと、形式が変わっても実質的には何も変わらないことでしょう。

 子どもたちには、「失敗をどんどんしろ!」「間違えるほど勉強になる!」ということを徹底して仕込み、そして形式にとらわれない、本質的思考を手に入れてもらいたいと思います。そうすることで既存の学校の成績も上がり、今後社会に出ても役立つ能力を手に入れることになります。
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  1. 2017/03/01(水) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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あと3年で日本の教育は大変革する!ご存じですか?

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。年が明け2017年になりました。皆さんは、あと3年後の2020年はどのような年かご存じでしょうか?オリンピックの年であることは間違いありませんが、実は、教育の大変革の節目の年であるのです。一説には、明治維新以来の150年ぶりの大改革と言われています。センター試験が廃止され、新しい能力を図る試験に変わることや、アクティブラーニングという授業手法が小中高で頻繁に導入されたり、英語教育が変わったり実に大変革といってもいい年なのです。メディアでは報道はされていますが、断片的であるため、実感がわかないと思います。
 さらに、2011年の小6だった子が社会にでるときには65%の職業は今現在存在しない企業に就職するというアメリカの研究者の発表や、AI(人工知能)によって多くの職業の形態が変わるか無くなるということもすでに予測されており、「まだまだ先の話だよね」と思っていたことは来年には実用化という事態になっているのです。
 今から10年前にはタブレットやスマホは一般的ではなく、Googleなどの世界的大企業はありませんでした。そして現在、実に多くのIT企業や、ITを使った新業態の企業が世に出て、それらの企業が世界をリードしていっています。
 教育も、「知識を知り、それをどれだけ覚えたかという時代が終焉」を迎え、それをどう使うか、使って何をするのかという視点で語られるようになってきています。(完全にこのような状況に以降するのは多少時間がかかります。新しい学力観に理解が示せず世界の時流に我関せずという世代との交代時期まであと10年~15年かかるため)しかし、子どもたちは間違いなく上記のような世界で生きていくことになり、そのために必要はスキルというものが求められることは確実でしょう。
 そのスキルとは、次のようなものです。(文科省もほぼ同様な内容を出しています)
(1)思考の方法……創造性と革新性、批判的思考・問題解決・意思決定、学習能力・メタ認知
(2)仕事の方法……コミュニケーション、コラボレーション(チームワーク)
(3)学習ツール……情報リテラシー、ICT(情報通信技術)リテラシー
(4)社会生活……市民性(地域および地球規模)、生活と職業、個人的責任および社会的責任(文化的差異の認識および受容能力を含む) 「出典:ACT21s The assessment and Teaching of 21st-Century Skills」

 一般的に、スキルというものは習得可能な技術です。誰でもある程度訓練受ければできるようになりますが、実はここに大きな問題があります。それは、「考える力」のない者は、このようなスキルをマスターできないという事実です。緑進学院では、やみくもな暗記を戒め、『考える』という思考的側面をかなり重視しています。ここが他塾と決定的に異なるところでしょう。ただ成績を上げる、学力を引き上げるということは簡単です。しかし、それが、その子の“私有財産”となるような「考える力」を手に入れて、成績を上げていく必要あります。これができる教育関係者が非常に少ないというところに大きな問題があります。2020年を機に日本の教育がようやく本質的になっていくこと祈念しつつ、年初のメッセージをさせていただきます。
  1. 2017/01/02(月) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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この15年で様変わりした志願者数別トップ大学

私立大学の志願者数といえば、私が大学入試をしていたころは(1989年)、早稲田大学、日大あたりが多かった記憶があります。それを現在と比較した表があるので、ご紹介しましょう。
まずは、1992年当時です。カッコ内は志願者数で約しています。
1位 早稲田大学(15万7千)  2位 日本大学(14万7千) 3位 明治大学(10万5千)
4位 立命館大学(9万8千)  5位 関西大学(9万)   6位 中央大学(7万9千)
7位 近畿大学(7万4千)   8位 法政大学(7万1千) 9位 東洋大学(7万)
10位 慶應義塾大学(6万3千)

 では、2016年(3月10日現在)のデータはどうでしょう?

1位 近畿大学(12万)    2位 明治大学(10万8千) 3位 日本大学(10万8千)
4位 早稲田大学(10万3千) 5位 法政大学(10万2千) 6位 立命館大学(9万5千)
7位 東洋大学(8万4千)   8位 関西大学(8万2千)  9位 千葉工業大学(7万6千)
10位 中央大学(7万4千)

いかがでしょうか?
早稲田大学と日本大学が志願者数を通常の少子化に合わせて減少ですね。あとの大学は検討しています。特に、近畿大学、明治、そして新しくランクインしている千葉工業大学は目をみはるものがあります。
私から見ても、これらの大学はみな、早い段階から、革新していたように感じます。グローバルやITの波に乗り、学生のための大学運営と募集活動をしてきた結果でしょう。この少子化の時代に素晴らしいことですね。しかし、大学の全体としては15年前よりも減少しているのですから、これら上位の志願者数を集めている大学以外の大学は、とても経営が厳しいことでしょう。この15年でAO入試、推薦入試(事実上の青田刈り)入学の学生は50%を占めるようになりました。本来の主旨通りであれば、とても良い入試制度ですが、どうみても大学経営のための“売上向上策”にしか見えません。これから大学はじめ、高校も私学は非常に厳しい運営を突きつけられるでしょう。視点を、学生のため、生徒のため、さらには世界の大きい流れを見据えて組織(人ではなくマインドを)刷新することを決意するかしないか、によって世に必要とされる大学であるのかどうかが決まるのではないかと感じました。この統計をみて、皆さんはどうお考えでしょうか?
  1. 2016/12/01(木) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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日本の生徒の英語力はどの程度か?

文部科学省が昨年の4月4日に公表した、平成27年度の全国の英語教育の状況を都道府県別に公表しました。
 全国の都道府県となると、必ず序列がでてくるのですが、一応述べておくと、高校が群馬県(49.4%)、中学校は千葉県(52.1%)となっています。この数値は、政府が掲げる目標レベルに達している生徒の割合だそうです。
 政府の掲げる目標レベルとは、平成29年度までに卒業段階で高校生が英検準2級以上、中学生が英検3級以上相当の英語力をそれぞれ全体の50%以上身に着けることを求めています。
 また、この状況調査で興味深いのは、英語教員にも同様に英語レベルを求めていることです。英語教員の場合は、英検準1級以上か、それに相当する資格の取得としていて、これも目標が掲げられています。29年度までに高校教員が75%、中学教員が50%となっていますが、今回の結果では、高校教員が57.3%、中学教員が30.2%となっています。
 また、上位となった群馬県、千葉県では、授業が英語で行われていたり、生徒が身に着けるべき能力を段階的に示した指標を利用しているということです。つまり、何かしらの目標を掲げて、それに向けて何かしらの対策が具体的に県独自に行われているということです。
 さて、このような結果を受けて、私は色々と感じました。緑進学院では、小学生でも英語を行っていますが、週2回で1回たったの30分で、わずか1年足らずで英検5級は全員合格し、1年半で4級、さらには2年間で英検3級に合格する生徒すらいます。
 当たり前のことを、地道にやるだけです。たった週2回の30分ずつで普通の生徒たちがこのようなレベルに到達するのに、なぜ、学校ではそれができないのか?ということに問題があるように感じました。
 英語教員の英語力(準1級レベル)が問題になっているようですが、これはこれで英語の専門家としての英語力は必要でしょうが、それよりも授業の方法に問題が多分にあるのではないかと思っています。これまで私は公私立の多くの中高の授業を視察させて頂きました。そこでは、やはりこれは上手な授業だと感じた割合が5%以下であり、まれに素晴らしい先生がいると感動してしまうという状況でした。(本当はどの授業を見ても感動しなければならないはずなのに・・)英語力の前に、教員力といいますか、指導力といいますか、これが重要であると私は20年前から何度も言い続けています。近年はアクティブ・ラーニングの授業手法がにぎわっていますが(私もアクティブ・ラーニング講演会で何度も講師を務めています)これも、通常の授業が上手にできない教員は、アクティブ・ラーニングの授業も難しいということがわかっています。
 もちろん、英語力があればいいという問題ではありません。英語の運用能力(つまり論理的思考や読解力や教養など)はさらに重要なことですが、今は英語力という点についてのみ話をすると、このようなことになります。
 おそらく、このような統計データがでたので、各都道府県市町村の教育委員会では、英語力を高めるためにさらに対策を取ることでしょう。それは悪くありませんが、指導力が何よりも重要であることに注視し、それを飛躍的に上げていく対策の方が重要であると私は考えています。
  1. 2016/11/01(火) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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新たに不登校になった小中学生6.5万人

この衝撃的データは世間を驚かせました。1993年度は約3.3万人であったのが、2014年度はその倍近い6.5万人となっています。この6.5万人というのは、新たに不登校になった児童・生徒の数ですから驚きです。しかも、年々子どもの数は減っていっているのに、不登校は増加しているということですから、かなりの割合で進行しているといえるでしょう。(この不登校という言葉ですが、定義は現在のところ、心理的理由で年間30日以上休んだ場合を指しています。)
 2014年度段階で、全小中学生の数は、1012万人です。その内不登校は何人いると思われますか?統計では12万2912人です。6.5万人が新たに不登校になったということは、前年から継続している不登校の生徒は、5.7万人です。これを新規で不登校になった割合(全生徒数で割った割合)は、93年度が0.25%で、04年は0.55%となっています。これだけみても倍です。国立教育政策研究所の意見では、既存の不登校生に目を向ける一方で、この新規が増加している点について未然に防ぐ施策が必要な時期に来ていると言われています。
 このようなデータを見せられ、皆さんはどのように思われるでしょうか。まず、問題は何か?を思われるでしょう。もちろん、端的にこの理由を語ることはできません。感覚的にこうではないかということは言えても、明確かつエビデンスをもって、これが原因であるとは今のところ言えません。ですから、国立教育研究所でも、対策について目を向け、原因については触れません。
 しかし、何事も、原因をさぐり、それを解決しなくてはなにもなりません。未然に防ぐ策を考えるといっても、おそらく周囲が気をつけてみておく、いじめがなくなるように先生や家庭で子どもの変化に気づくようにするなど、おそらく精神論的な策で終わることでしょう。つまり、属人的解決手法によるもので、非常に重要なことではあるものの、おそらく何の解決にならないでしょう。
 では、どうすれば良いのでしょうか。この点について私の意見を書こうと思います。(これは私見であり、明確なエビデンスがない以上、想像の域はでませんが)
 いじめや家庭の不和、さらには親の教育に対する無関心など、さまざまな理由はよく語られますが、確かにその一面はあることでしょう。しかし本質的には、次の理由によるものではないかと推測しています。
「学校そのもの、勉強自体がつまらないものになっている」
こういうと、昔も同じであると言われるかもしれません。そうです。昔も面白くないのです。では何が変わったかといえば、それは子どもたちが変わったのです。一昔前と比べ変わったことは、世の中に子どもたちの興味関心を引くメディアやコンテンツがあふれていることや世の中の働き方が変わり、別に無茶苦茶頑張らなくても“生きていけそうな感じ”になっていることです。その結果、多様な考え方を持つ子どもたちが誕生し、画一的で皆同じ答えを求められる学校や勉強に対して、違和感を早くも感じ、そこから自分のアイデンティティを守るために、物理的に遠ざかっているのではないかと推測しています。これは何も、子どもたちに限らず、大人の世界でも同じでしょう。社会が変わり、人々の価値観が変わり、そして学校や会社という組織やコンテンツが変わっていないとなると、不適応な人が出てくるのは当然のことでしょう。いずれにせよ、教育の世界でも、変革が必要なときに来ていることは明確です。今のままでは、益々この数値は上がり、学校という機能を失っていくことでしょう。
  1. 2016/11/01(火) 00:00:00|
  2. 石田勝紀からの便り
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